沖縄観光情報WEBサイトmahae plus ハイサイ沖縄! 新規登録・ログイン
English TraditionalChinese Chineselanguage Korean
ホーム見る・楽しむ宿泊交通アクセスグルメショッピング地域観光早わかり体験滞在型観光修学旅行よくある質問はじめての沖縄
Myプラン“あなただけ”の沖縄旅行を作りませんか? Myプランとは?  


[おきなわ早わかり]
八重山地方の歴史
カード更新日:2006年10月27日

1500年、戦いにやぶれ琉球王朝下に。戦時中はマラリア被害を受けた。

八重山地方の歴史は文献に残っているものでは「日本書紀」に太朝臣遠建治(おおのあそんおけじ)が奄美(あまみ)、信覚(しがき)、球美(くみ)の島人52人を率いて太宰府に入貢したとあることが書かれています。信覚とは石垣島、球美は久米島か西表島(いりおもてじま)の古見(こみ)のことではないかといわれています。
琉球王国への帰属については、1390年の察度(さっと)王時代に、中山へ進貢したという記事があります。
また、1477年与那国島(よなぐにじま)に朝鮮人が漂着し、そのことが朝鮮の歴史書「李朝実録 成宗10年条(第105巻)」に記されています。盗みや喧嘩もない平和な島であったようです。

1500年石垣島大浜のオヤケアカハチが乱を起こすものの、宮古の仲宗根豊見親(なかそねとぅいみやー)と尚真(しょう・しん)王の派遣した中山軍100隻の連合軍に破れ、八重山は琉球王府の支配下に入りました。また与那国島も、1510年、琉球王府の支配下に入りました。

1609年に薩摩藩が琉球に侵入した後の1637年、琉球王朝が人頭税(にんとうぜい)を導入。人頭税とは15歳から50歳までの男女1人1人に対し税を課すものです。
与那国島久部良(くぶら)に残るクブラバリは過酷な人頭税にあえぐ住民が、人減らしのために妊婦に岩の割れ目を飛ばせた場所として伝えられています。過酷な税が生んだ、悲しい物語です。
1771年八重山と宮古を襲った明和大津波の際には、八重山だけで約9,000人が犠牲になり、家屋の倒壊は約2,000棟に及んだといわれています。
1852年中国厦門(あもい)港から米国へ向かう途中のイギリス船内で、虐待されていた輸出労働者であった中国人苦力(クーリー)が蜂起しました。船が石垣島沖で座礁したため、380名が上陸したものの追手の米英国軍によって128名が殺害されたというロバートバウン号事件が起こりました。彼らを弔ったのが唐人墓です。

太平洋戦争時には、台湾へ疎開する人も増えましたが、残った人々は、島内の山地へ疎開しました。しかし、その地はマラリアを媒介するハマダラ蚊の生息地で2,500名以上もの死者を出しました。西表島南風見(はえみ)に疎開した波照間島の住民も同様にマラリアで島民の約3分の1が死亡。これらは戦争マラリアと呼ばれています。マラリアは1961年に撲滅されました。

戦後は、八重山には米軍統治のもと八重山民政府が置かれましたが、その後琉球政府に統合され、1972年、沖縄県として日本復帰を果たしました。

情報提供者: (財)沖縄観光コンベンションビューロー


つながりサーチ:知る
テーマつながり   地域つながり
 

関連コンテンツ
カテゴリー

ページトップ

サイトマップこのサイトについてプライバシーポリシー情報掲載についてOCVBについてお問い合せ
OCVBロゴ
財団法人 沖縄観光コンベンションビューロー
〒901-0152 沖縄県那覇市字小禄1831番地1 沖縄産業支援センター2F ( 地図
TEL 098-859-6123(代) FAX 098-859-6221/098-859-6222
東京事務所大阪事務所福岡案内所韓国事務所台北事務所那覇空港観光案内所
沖縄インバウンド
知ろう!使おう!二千円札
Re沖縄 いこうよ!おいでよ!沖縄!